E-mail

 

藤林英語教室 教室紹介 教室行事 使用教材・おすすめ 藤林恵子  レッスンプラン コラム リンク

   

アメリカの思い出話などなどです。今回、加筆修正と写真をUPしました。 2005/7/1

 

クリスマスの思い出 ★2

アメリカ話 12

2004/12/21

クリスマスの思い出 ★1

アメリカ話 11

2004/12/21

日米・ 街並み比較

アメリカ話 10

2004/08/6

ハロウィーン2

アメリカ話 9

2003/10/13

アメリカの医療現場で

アメリカ話 8

2003/08/31

移動遊園地と募金活動

アメリカ話 7

2003/08/09

サマーキャンプ

アメリカ話 6

2003/08/09

銃社会の悲劇

アメリカ話 5

2003/03/02

息子の学校で心に残った風景

アメリカ話 4

2003/03/02

楽しくてちょっと怖いハロウィーン

アメリカ話 3 

2003/03/02

シェアーすること

アメリカ話 2

2003/03/02

小学校入学〜最初の先生

アメリカ話 1

2003/03/02

My Favorite Pictures

  

      家の前の池のほとりで。                              カナダ旅行 どこかの国立公園(^^;)

 

          あ゛〜〜。かわいかったな〜!素直だったな〜!う、ううう〜なつかしい〜〜(2000年ころ)・

                今は・・・もう・・・・(かなり遠い目)

 

コラムここからはじまりはじまり〜

お好きな飲み物でも飲みながらどうぞ・・・・・

 

 

 

    クリスマスの思い出 ☆2(↓の☆1の続きです) 2004.12.21            アメリカ話 12


               

           2001年まで住んでいた家                     幼稚園での1こま "Have you been a good girl?"      

    

     クリスマスの朝ばかりは階段を転げ落ちるばかりの勢いで降りてくる我が家の二人。

 日ごろの寝起きの悪さは演技だったのかい?とつっこみたくなる朝から全開モード

 ツリーの下のプレゼントには、To:○○ From:△△のように名札シールつき。興奮の中

 プレゼントを二人で分けてビリビリっと次々開封。ニコニコの笑顔が見れるのはやっぱり

 うれしい。もちろんサンタさんからのもあります。

 

  アメリカのプレゼント事情は、もしかしたら質より量?と勘ぐりたくなるほど、私の

目にはたくさん与えあっているように思いました。一人から一人に複数の品物。つまり

総数が多い。ストッキング(大きい靴下)にもツリーの下にもてんこ盛り。あまり教育的

とは言えないけれど、見た目壮観です。

 

  当然気に入るもの気に入らないものいろいろ。気に入らないものはどうしましょう?

ハイ、クリスマス翌日の26日一斉にアフタークリスマスセールが大々的に行われます。

クリスマスグッズも冬物衣料もブランド品も、一斉大幅(90%offなんてことも!)値引き。

興奮しまっせ!

 

  あ、返品の話。アメリカは返品天国です。未使用・レシートあり、であれば、何の理

由がなくても、返品できるのは当然。ときには使用済み(洗濯済み)でもレシートあれば

ちょっとごねたらOKなところも。クリスマス時には値段を伏せたプレゼント用レシート

なるものを発行する店もあって、相手にあげるときに、そのレシートをそえて、

「気に入らなかったら変えてもらってね」ということもあるよう。現実的!!

 

   次はクリスマス@小学校幼稚園

クリスマスソングを歌うコンサートがあったり、ジンジャーブレッドマンのお菓子の家を

作ったり、宗教色のあるなしは学校によりますが、特別な季節の雰囲気を楽しみました。

12月の最後の登校日にはちょっと注意。クリスマスギフトを先生方に贈る習慣がある

のです。(公立小学校でも堂々と)。

 

  日ごろの感謝をこめて、子供にカードを書かせ、ちょっとした品物を持参します。

小学生は本人が先生へ手渡し、幼稚園児はお迎えのときなどに親が渡すようでした。

 

  習慣といえば、クリスマスには新聞配達の方や、郵便配達の方にもチップを渡ししま

す。新聞配達員は普段顔を合わさないので、クリスマスカードが来たら「おねだり」?

と察して、チップをはさんだクリスマスカードを送り返します。郵便配達の人には自分の

郵便受けに、宛名を書いて同様のカードを置いておきます。

 

  行きつけの美容師さん、マンション(アパートメント)ならドアマンや管理人さん

などにも。もちろんこれらは「必要なし」とあげない人もいるそうです。

 

  最後に。日本では、恋人たちのときめく一夜としてのクリスマスがやけに宣伝されま

すが、基本は家族の日です。愛と分かち合いの精神を、家族だけでなく、隣人友人、恵ま

れない立場の人たちへ示す季節なのです。かくいう私もプレゼントとケーキをまず最初に

考える凡人ですが、とりあえず募金、できればボランティア、自戒を込めて思います。

 

  

 

 

 

 

 

    クリスマスの思い出 ☆1      2004.12.21                            アメリカ話 11


                        

       クリスマスイブの日の歌のつどい・                    ほほほ、てんこ盛りやなー

         後ろがでっかい本物の木のツリー       

 

         我が家のリビングにはアメリカから持ち帰った2メートルを越すクリスマスツリーが

  この季節、窓の前にどかんと鎮座しています。高さもさることながらかなり太い。

  たくさんの柄違いのセーターを着たテディベアとオーナメントでゆさゆさ(笑)。

 

     ツリートップはでっかいお星さま。今はさらに赤・緑・白のまるいミニバルーンが加わ

   って、トイストア風。でもライトだけは大人っぽくブルーグリーン、 絶対チカチカなん

  ぞさせません!夜中一人で起きているとき、照明を落としてツリーの光を楽しむのが好き。

 

    さてアメリカのクリスマス。まずはツリーの話から。

  私の持ち帰ったような組み立て式の人工ものもポピュラーですが、生もみの木を買う人も

   多いです。街角のなんでもない駐車場に12月になると突然「出張もみの木&リース屋」が

  できているのです。ツリー用のもみの木ってすでに根っこがついてないんですよ。

 

     車の屋根に積んで持ち帰った木は、スタンドに固定して立て、クリスマスがすんだら

  ゴミ処理場へお父さんが持ち込み処分。いくら常緑樹とはいえ、当然ちょっとずつ枯れ    ていきますから、枝葉も落ちて処理場に運ぶのも一仕事です。

 

  では、クリスマスはいつ片付けますか?・・・。12月26日?日本はそのころですよね。

  年末まで置いておいたら、おいおいと言われそうです。でも正式には、クリスマスは

  1月6日まで続くのです。ですから、「さっさと片付けて次はめでたいお正月だい!!」

  という日本の年末年始と違い、クリスマスのまま、同じ雰囲気で新年を迎えます。

 

   ある意味、地味で静かな迎春です。お正月はガラリと雰囲気が和風に華やぐ日本のメリ

 ハリが恋しい!と思ったものです。ちなみに“Happy New Year!”のご挨拶は、年末に

 言ってもいいってご存知でしたか?「新年おめでとう!」は「よいお年を!」でもある

 のです。

 

  さて、クリスマスイブの話。

 住んでいた家のすぐ近所に、電飾を施された大きな常緑樹があり、

 「イブの夜、集まりましょう!」

 のチラシの誘いにのって、近隣の老若男女、クリスマスキャロルを歌いに集いました。

 

  リーダー格のマダムがりんご箱のような木箱の上に立って、指揮しクリスマスソングを

 メドレー風に歌います。歌詞を書いたミニブックがちゃんと配られる親切。辺りは暗闇

 すでに雪景色の年もあり、大きなたきぎで暖を取りながら、零下のクリスマスイブ。

 その地域は、古きよきアメリカの伝統が残っていたのですね。家に戻り、サンタさんに

 クッキーやミルクを置いて、子供はおねんね。  ・・・・↑につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

  日米・街並み比較   2004.8.6                                       アメリカ話 10


   

    

    小学校の前の道で(水仙は花壇ではなく自生していた)     NY貿易センタービルの屋上から(最上階でなくて外)・・今はもう・・

 

    海外から成田空港に到着し、成田エクスプレスのシートに疲れた体を沈めながら、風景を見て毎度思う

  ことがある(きゃ〜この書き出し、ビジネスウーマンみたい)。

 

   日本は行くところに行けば、自然もふんだんに残っている美しい国だ。人もおしゃれ、レストランもホテル

   も洗練されている。なのに市街地はどうひいきめに見ても・・・見苦しい。

 

   どうしてこうも広告看板が立て放題で、大きくどぎつい色なのか。

  きれいな水田におっ立ってるパチンコ屋やラブホの看板。 いたるところに自販機の列。

 

   アメリカでは(・・・とひとくくりにできないことは承知だが)、概して看板は少ない

  道に垂直に飛び出るような看板、歩道にはみ出す置き看板は特に見かけない。

 

   リゾート地にいっても

  「○○ホテル、次の信号右折」

  などどいうでかい看板は見かけることが少ない。スピードを出して運転していると、通り過ぎてしまう

  くらいお上品に、 ホテルのエントランスの看板が植え込みの中に隠れていたりする。

  (もちろん高速から見えるように立つマックやシェルの高い看板というのは当然ありますよ。)

 

   ひとつには土地が広いから点在して目立たないということもあろう。道路事情の違いから、案内のための

  看板が少なくてすむということがあるのかもしれない。というのは、すべての通りに名前がついている

  ことだ。 え、すべての通り?住宅地の中の細い道も?・・・・

 

    ハイ、アメリカではYESなんです。どんな小道にもちゃんと名前があって地図に明記されている。

  そして番地は、シンプルにその通りの右側偶数、左側奇数のように区別され順にならんでいる。つまり、

  住所は道路名と番地。だから地図が読めればたどり着ける。

 

    Lake Dr. 14という住所だったら、まず地図でLake Dr.を探し、その道にたどりついたら、郵便受けを

  で番地を確認しながら、「2、4、6、8、10、12」で次の家だとわかる。住宅地では、番地は道沿いの

  郵便受けに「大きく」表示しなくてはいけないルールなのです。お店は看板。

 

    さて、街並みの話に戻りましょう。そんな事情もあるけれど、どう考えても日本の醜悪な街並みは、

  行政に先見の明がまったくなく、金儲け優先価値観が社会に浸透しているあらわれのように思える。

  目だたにゃ損損。景観なんて金にならないものより、隣の自販機より目だって一本でも売れることが

  大切。

  

    長い歴史を誇る日本の伝統文化は美しく、昔からの街並みが保存されている街は非常に趣きが

   ある。ただ一般の市街地の街並みは、ため息とともにぶっぶぶぶ〜!だと思う。 

 

 

 

 ハロウィーン 2   2003.10.13                                        アメリカ話 9


   

    

       幼稚園からパンプキン拾いに行きました                    ハロウィーン当日の朝の園庭

 

     10月は黒とオレンジ色の月。つまりハロウィーンです。

   もともとは死者の魂が帰ってくるとされる万聖節(11月1日)の前夜に、秋の収穫の祝いをからめて

   死者を慰霊した古代ケルト人の行事だそうです。

 

     しかしアメリカでは公立小でもこの行事をするほど今は宗教色も薄く、子供たちは自分の誕生日や

   クリスマスと同様に、それはそれは楽しみにしているお楽しみの日でした。息子が最初に行っていた

   学校でも全校上げて仮装の日がありました。

 

     衣装を持参して、時間になると着替えたり、フェイスペイントしたりして、体育館でパレード。

   もちろん先生もばっちり変装しています。1年生のときわが息子、変装した担任の先生を見抜けなくて、

   「この人ダレ・・???」

   と不思議そうな顔をしていたことも。

 

     娘の行っていた幼稚園には朝から衣装で登園しました。

   "Wow!  Look at you!  Who/What are you today?"

   などと先生が声をかけると子供たちも照れ笑い。赤やオレンジの落ち葉の上でカラフルな衣装の

      子供たちが楽しそうに見せあいっこしていたのは印象的な光景でした。(↑の右の写真)

 

     本番のトリック・オア・トリートは10月31日ですが、その1〜2週間前にはいろんなハロウィーンの

   お楽しみ会がありました。地域のYMCAなどの団体主催、育児サークルのようなプレイグループの

   集まり、まったく個人のお母さんのご招待などなど。内容はパンプキンをペイントしたり、仮装ゲームを

   したり・・・。

 

   ゲームで印象的だったのは、トイレットペーパーを一巻き使って人間ミイラを作る競争

   「もったいな〜い」などという人はいませんでした(笑)。盛大に巻いて盛大に捨ててましたね(笑)。

 

   最初の年は、

   「衣装を毎年買うの?もったいなくない?」

   と考えていた私も、一度経験するとその楽しさに取り付かれて、翌年からは当然のように

   「今年は何になるの?これいいんじゃない?」

   と通販のカタログにたくさん付箋を貼って、子供と相談していました。手づくり派は少数で、通販か

   パーティー屋さんなどで売られているコスチュームを買う人が大半です。息子は、101匹わんちゃん、

   恐竜、こうもり、娘はうさぎ、魔女、黒猫などになりました。毎年の写真はとてもいい記念です。

 

   うちの教室では持ち帰った衣装を貸し出してトリック・オア・トリートをします(行事ページを見てね)。

   着ぐるみ「マックシェイク」は、とりあえず教室でみんな着たがる人気コスチューム。でもいざ外に出る

   のはちょっと恥ずかしいというシロモノです。

 

   ハロウィーンは、アメリカ人の"Let's have a lot of fun!"の精神が見事に現れる行事です。11月の

   サンクスギビングでは歴史を、クリスマスはその精神をこどもたちにきちんと伝えるのに比べ、ハロウィー

   ンは「とりあえず楽しみましょ」。トリック・オア・トリートでかき集めたキャンディーは、日本人の口には

   甘すぎるものが多く、わが家では結局クリスマスあたりまで消費しきれず毎年残っていました。

             

 

 

 

 

 アメリカの医療現場で   2003.8.31                                        アメリカ話 8


  

      

    ご出産お祝いディナー@病院        ↑ここにベビー               2泊3日で退院しました

  

    アメリカですごい!と感激したことのひとつに医療の現場があります。先進医学の話ではありません。

  普通の病気の治療や出産などで、患者と医者の関係、医療サービスの仕方が明らかに日本とは異なった

  のです。

 

   まず病気になったら、診察予約が必須です。Walk-inと言われる飛込み専門外来もありましたが(それは

  それで、時間外などに便利)、通常一人の先生に継続的に診てもらうため、その先生の属しているクリニッ

  クに、電話で病状を伝え、予約します。予約時間は細かく定められているので、通常10〜20分程度の

  待ち時間でたいてい診療してもらえました。待ち時間でイライラしたのは日本人の歯医者さんにかかった

  ときだけ。

 

   受付のおばちゃんたちは総じて愛想なしで事務的。保険に確実にはいっているか厳しくチェックされ

  ます。看護婦さんは総じてプロ意識が高く、有能な印象でした。診察は個室。話が筒抜けにはなりませ

  ん。そこでまず看護婦さんが事前問診をして準備します。先生が即診断できるよう、服をぬがしたりして

  準備して待ちます。

 

   で、お医者さんが”Hi! How are you doing?”とにこやかに登場。病気で来てるのに、うっかり"Good!"と

  言いそうになりそうなさわやかさです。診察は短時間ですが、手際がいい。

 

   会計もさほど待つこともなく終了。薬はもちろん処方箋をもって、また車で自分のすきな薬局にいきます。

  産婦人科でも歯科医でもだいたいこんな感じで、病院通いは半日がかりなんてことはありませんでした。

  ただしどこでも自分で運転して行かねばなりません。

 

   出産は2泊3日コース(除く帝王切開)。当然のように個室(相部屋なんてなかったような)。

  2泊目はお祝いディナーがでました。初日に高級ホテルの朝食注文表のようなドアノブにかけるオーダー

  用紙を提出しておくと、次の日の夜、ベッドの脇にテーブルクロスをかけたテーブルが運び込まれ、シャン

  パン付きのフルコースがしずしずとサープされます

 

   新生児を見ながら、夫婦で乾杯ってわけです。地域で唯一の大きな病院だったのですが、高い出産費用

  のほかに寄付金などで潤っているのでしょうね。なんだがやたら優雅でした。

 

   出産そのものも実に快適でした。

  「日本人女性は、みんな我慢強いのよね〜!」と感心していたドクター。

  私は十分痛がってたのですが、アメリカ人女性は平均的にもっと大騒ぎするのでしょう。それに彼女たち

  は大半が陣痛促進剤や麻酔を使用するようです。2泊で帰宅してさっさともとの生活に戻るわけですから

  何十時間もいきんでうなって体力使い果たしたくないのか、痛みに弱いのか、保険や医療側の策略か。

 

    ヒーヒーフーの最中に誓約書には次々サインさせられました。なんせ、訴訟大国ですから〜。

  でもうまく励ましてほめて産ませてくれました。一人目を東京で産んだとき、「だめだめ!そんなんじゃ〜!

  生まれないでしょ!」と、えらく怒られたのと雲泥の差。満足感が味わえました。

 

 

 

 

 

 

    退院のときには看護婦さんが、あれこれ「伝えておくべきことリスト」を片手に教えてくれました。

  で、最後にまた「私はあなたから説明をたしかに聞きました」というサインを「ハイここね」と(笑)

  ここまで徹底してるのか〜と感心。医療現場ではこれくらいかっちりしているほうが安心です。

 

    息子が和食レストランでおすしを食べた日の深夜、全身に発疹がでて痒くて寝られなくなったことがあり

  同じ病院の救急外来に夜中の1時に連れていったことがありました。そのときも若い研修医ではなく、

  落ち着いたベテランと思われる年齢の先生がささっと診察してくれました。さらに後日、病院の対応が

  よかったかどうか、細かな項目ごとに満足度をはかるアンケートが郵送されてきました。こうやっていつも

  評価にさらされているんですね。

 

    翻って日本の状況はどうなんでしょう?せめて予約システムだけでも、もう少しまともに機能してくれな

  いものでしょうか。夏休みの皮膚科で3時間待ったときは疲れ果てました〜。

 

 

 

 

 

 

 移動遊園地と募金活動   2003.8.9                                        アメリカ話 7


        

       小学校の遊園地!?こんな遊具も・・・                公立小学校の校庭です。たった2日で跡形もなく

 

     夏といえば、移動遊園地も忘れがたし。移動する遊園地、つまりある週末だけ、校庭や大きな

  駐車場や広場に突如おったてられる遊園地です。ほんの2日ほどでちゃちゃっと組み立てて、土日に

  営業。そして月曜にはあとかたもなく消えているのです。まぁ旅芸人の遊園地版とでもいいましょうか。

 

     すべての遊具は、日本のちゃんとした遊園地のものより小ぶりですが、観覧車あり、幼稚園児の

  のれるジェットコースター、回転木馬、長〜い滑り台にボールプール、ゴーカートなどなど昔懐かし系が

  結構多数。ホットドックやポップコーン、意外においしい綿アメ(cotton candy)なども定番屋台もあります。

 

     そして遊園地のくせに、メインは夜。夕方から夜10時くらいまで、涼しくなってから、みんな出かけ

  ます。サマータイムなので日本より日没が遅く、それ以降も照明がばっちりです。チケットは一枚1ドル

  だったかな。こどもはそりゃ大喜び。雰囲気もほとんど地元の人たちばかりなので、健全。

 

     何のために誰がやっているの?ですよね。ずばり、学校や団体のfund raising(募金活動)

  ひとつでした。学校は私立のみならず、公立もありました。授業料や助成金だけでなく、自らPTA活動

  として、プラスアルファを稼いじゃうわけです。

 

     募金活動は他にも多彩でした。生徒がセールスマン・セールスウーマンになって、

  「雑誌の年間購読しませんか〜」とよくやってきました。売り上げがいい生徒は表彰されるそうです。

  近所の顔見知りの子だと断りにくい(苦笑)。そこが学校の狙いなんでしょうね。

 

     私立小学校に息子が在籍していたとき、怖いもの見たさで「オークションパーティー」に出たことが

  あリます。何も出品できるほどのものを持ち合わせていない我が家。さて、何を売って、学校に貢献し

  ましょう・・・・??

 

   「日本料理4人前。おうちにうかがって料理します」・・・。今思っても、大胆だな〜(笑)。

  普通の主婦のコース料理に、なんと300ドル(3万円以上)の高値がついてびびりました。

 

    ど、どうしよう。2ヶ月くらいたって忘れたころに、競り落とした方(よその学年の顔も名前も知らない

  保護者さん)から電話がかかってきて、けこりんシェフをご予約(笑)。当日ドキドキしながら、しこたま

  料理と材料を抱えて、初めてのおうちへ向かいました。オードブルのスシはプロから調達。でも他は滝汗

  を流しながら作りましたよ。おほめの言葉をいただいて、ほっ!つまりその日の材料費と労働を私が無償

  提供、先方はその対価として、300ドルを学校に寄付、というわけ。

 

    話をもとに戻しましょう。オークションパーティーでは、どこぞの別荘の一週間使用権とか、飛行機の

  マイレージとか、手作り家具とか、服飾品、ディナー券、ミュージカルのチケット、相当な種類のものが

  出されました。でも目玉商品はなんだと思いますか。

 

    なんと、我が子のクラス作品です!うちの学年はモザイクテーブルとキルト。 

   すっげ〜!ありえね〜!って値段で競り落とされました。金持ちの親の愛、お見事!

    

    学校はこうして相当な寄付金を、めでたく楽ちんに集めましたとさ。チャンチャン♪

    

 

 

 

 

  サマーキャンプ     2003.8.9                                              アメリカ話 6


  

   サマーキャンプ@お金持ち幼稚園(たった2週間でさよ〜なら〜でした〜笑)              日本人幼稚園のサマーキャンプ

 

   久しぶりのコラムは、時節柄思い出すアメリカのサマーキャンプ。

  キャンプといってもテントで寝るキャンピングではなく、夏休み中の学校のようなもの。でも勉強はない。

  スポーツしたり、クラフト(工作)したり、ビーチで探検したり、ドラマをつくってみたり、テーマは様々。

 

   学校主催もあれば、専門業者が学校を借りてやることも多く、例えば私立校のすばらしい敷地を、公立

  学校の生徒も夏のキャンプに参加すれば使えたりする。他にも放課後の習い事のスポーツや音楽の教室

  もサマーキャンプと銘打った企画がある。

 

   アメリカの夏休みはめちゃくちゃ長い。私たちのいた地域は、6月上旬から9月のレイバーデイ明けまで

  なので、ほぼ3ヶ月。ずっと家にいられたらたまらない親は、多少の費用を払ってもサマーキャンプに子供

  を放り込みたいわけだ。料金はそれこそピンキリ。たいてい一週間単位で支払うのだが、普通のデイ・

  キャンプ(朝〜夕の日帰り)で、一週間で200ドル〜500ドルという感じか。結構高い。それでも人気の

  サマキャンは春休みごろに予約でいっぱいになる。

 

   お金もちの白人が大多数のハイソな雰囲気の幼稚園のキャンプ、庶民幼稚園のキャンプ、日本人幼稚

  園のキャンプ、YMCAなどの団体主催のキャンプ、専門業者の大きいスポーツキャンプ、地域主催のお安

  いキャンプ。いろいろ体験させた。

 

    二人とも幸いどこでも楽しそうだった。青々とした芝生、大きな木々、ひんやりとすずしい石造りの建物、

   地域住民しか入れないビーチ(入り口でビーチカードを提示しなくてはならない)。初めて会うお友達と

   遊んで、遊んで、遊び倒す夏休み。夏休みの宿題なんてダサいものはない(学年度末だもの)!

 

    あ〜、なんて素敵な夏休み。親の私がうらやましかった(笑)。

 

    親の義務は腐らないランチを持たせること(笑)と送り迎え。送迎つきの豪華キャンプもあるが、普通は

   現地まで親が連れて行って夕方お迎えにいく。マンハッタン以外、公共の交通機関はないに等しい。

   母親は夏休みも子供のお抱え運転手

 

    アメリカでお母さんをしようと思ったら、運転だけはできないといけない。高校生になって自分で運転

   するようになるまで(そう、高校生で免許がとれちゃう)、どこへいくにも、「ママ連れてって」なのだ。

   働いている母親はどうするの?お抱え運転手もやってくれるシッターさんを雇うのです。

 

     携帯持って誰と付き合ってどこにいくのか、まったく見えなくなる日本の昨今のこども事情より、ある

   意味、親の監視下におけるという副産物もあるけれど、それはそれで大変。「だから料理なんてしてられ

   ないのよぉ〜」って言ってたママたち多かったな(笑)。

 

    

 

 

 

 

  銃社会の悲劇   2003.3.2                                   アメリカ話 5


   アメリカのいいことばかり書いてきたがもちろん、ひどいこともある。銃犯罪のべらぼうな多さは最たる

  ものだ。アメリカに住み始めて、数ヶ月しかたっていない時、

  治安のいいわが街で悲惨な銃事故が起こった。

 

   両親の結婚記念日パーティーで両親共不在のその夜、兄弟二人(小学生同士で上の子が5年生くらい

  だったと記憶している)は留守番をしながら、拳銃ごっこをして遊んでいたらしい。どういうわけか、両親が

  隠していた護身用の銃を見つけ出し、おもちゃにのように使いだしてしまった。そして何発目かを弟が兄に

  向けて撃ったにとき、残っていた実弾が命中して兄が死んでしまったのだ。

 

   驚くことに父親は牧師だった。銃を子供の手の届くところに弾を込めたまま放置していたことで彼は警察

  にも呼ばれたはずだ。しかし、地域紙の新聞一面に名前も写真も載ったその一家(もちろん撃った子供

  本人も掲載)は、私の感覚では不思議なくらい堂々としていた。息子は不慮の事故で亡くなった、でも彼の

  短い人生は他の人の長い人生に負けるとも劣らない…などというコメントが載っていたと記憶している。

 

   その後その弟は同じ小学校に通い、両親は変わらず保護者会などでも積極的に発言したりしていたそう

  だ。それはそれですごい。

 

   でも銃が家庭にあるから起きる悲劇にあまりに寛容だという気がやはりしてしまう。友達のうちに遊び

  にいくことをプレイデートというが、プレイデートで子供を送りに行った際にその家に銃がありそうかどうか

  一応見回すのよ、って言ったお母さんがいてびっくり。。

 

   目につくところにあるなんて有り得ないわよ、でもこういう事故に巻き込まれる可能性は否定できない

  からね、と。横浜よりはるかに安全そうなその街も、やはりアメリカなんだと感じざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 息子の学校で心に残った風景 2003.3.2                                                  アメリカ話 4


      

  

    ある朝、息子の学校に何かの用事で出かけたときのこと。とっくに授業ははじまっていたが、一人の

  女の子が遅刻したのか、私の少し前を歩いて校舎に入った。見ると知的障害のある子だった。

  その学校は、障害がある子も一般クラスに入り、専任の先生(その子だけのために派遣される先生)

  がクラス内で付き添うシステムになっていた。

 

   自分の教室の前で彼女は立ち止まった。確か1年生のクラスだったと思う。開いているドアからクラスの

  様子を見ると、先生も生徒も何か活動中で、彼女が戸口にたっていることに気づかない。何気なくどう

  するのかな、と私は歩くスピードをゆるめ、廊下から見ていると、すぐにひとりの男の子が彼女ににこやか

  に近づいてきて、彼女の肩に軽く手をまわして

 

   「あ、おはよう。来たんだね。」

  という感じで彼女を自然に招き入れ、

   「先生、○○が来たよ。」

  と伝えたのだ。先生も

   「あら、来れてよかったわ」

  という感じで、彼女のほうにすぐに近づいてきた。

 

   私は目を丸くした。その男の子のさわやかな笑顔とさりげないやさしさに。私の知る日本の小学生

  はもっと幼くて、すぐに「男子対女子」みたいな構図で張り合っちゃったりするガキんちょくんだ。知的障害の

  ある異性に、あんなに自然にやさしく応対できる一年生の男の子が、日本にはどれだけいるのだろうか、と

  思わざるを得なかった。

 

   やはり教育の差なのか。それは親の教育か、学校の教育か、社会の教育か。たぶんすべてだろう。

  手助けをためらわない、ハンディのある人に積極的に声をかける、という彼らの姿勢は、その後アメリカで

  出産し、赤ん坊連れ(一種のハンディつき)で生活した私も何度も体験した。ちょっとした段差の前で立ち

  止まったとき、スーパーの駐車場でまごまごしていたとき、「え〜っと」という顔をしてきょろきょろしていた

  とき、あまりにすばやく、

  "Do you need help?"

  と声をかけられてびっくりしたことが何度もある。

 

   思えば日本でも田舎に行けばこんな感じなのかもしれない。でも日本に一時帰国したとき大きな荷物と

  赤ん坊連れの私が思いっきり「困ってま〜す」という光線を出しても、大都市の皆さんはほとんど立ち

  止まってくれなかった。

 

   日本人にありがちな「気をまわしすぎるメンタリティー」や「余計なお世話」を嫌う気持ちも一因だろう。

  けれど小さいうちから人に手を貸すこと、できる親切を厭わないことを、やっぱり親が見せて教えていく

  のが一番かもしれない。それにしてもその少年、かっこよかったなぁ。

 

 

 

 

 

  楽しくてちょっと怖いハロウィーン 2003.3.2                   アメリカ話 3


          

   

     10月31日のハロウィーンの夜、子供たちは思い思いの衣装をつけて、

   Trick-or-treat!(トリック・オア・トリート「おかしくれないといたずらしちゃうぞ」)といいながら、地域の

   家々を訪問して、チョコやキャンディーを集めて回ります。回る家は明かりがついていて、ハロウィーンの

   飾りがあるところが目印です。参加したくない家、暗くして外出しているはずです。

 

     回れば回るほどお菓子がもらえる!!すごくないですか?(笑)

   知り合いの家である必要はないのです。一軒では一個か二個くらいの少量なので、とにかくたくさんの

   家を回りたい。最初、もじもじしていた息子も、すぐに味をしめ、「もっともっと」と興奮状態に陥りました。

 

     数を集めようとすると、ある程度家の間隔が狭いほうが効率がよいことは明らか。つまり豪邸の並ぶ

   エリアは人気がない。金持ちエリアのお子様は近所だけではなく、低所得者層のエリアに遠征して

   お菓子をもらうという笑える現象が起こったりします。

 

     私たちの最初の家は交通量の多い通り沿いで、かつ上記の条件にぴったりだったため、ハロウィー

   ンの夜は6時すぎから8時すぎくらいの間に7、80人の子供がやってきました。もちろん子供のうしろで

   親が見守っています。そんなに大勢が来るとは思わず、最初の年はお菓子が途中でなくなって、あわ

   てて息子がもらってきたお菓子を「カツアゲ」しました(爆)

 

     ところでハロウィーンの直前に、どきっとする新聞記事がでました。地域紙の表紙に、

   「トリック・オア・トリートに行ってはいけない家」の名前と住所が公開されたのです。

   性犯罪歴がある人の家でした。アメリカではその何年か前、性犯罪を過去に起こした人物が近所に

   住んでいると知らず、幼い少女が被害にあい、殺害されたのをきっかけに、再犯率が高い性犯罪者は

   刑期を終えて戻ってきても、住所氏名を警察で公開していいという判決が出たそうです。

 

     わたしたちの住んでいた街は警官の数も半端じゃないほど治安を大切に守る地域だったので、地元

   の新聞もそれに応じて、大きい扱いでそのようなリストを掲載したようでした。犯罪の種類も掲載された

   ので、女の子注意か男の子注意かまでわかりました。

 

     日本では考えられないですよね。社会復帰はどうなるんだ、と言われちゃいますよね。あちらでも

   きっとそういう意見もあるのでしょうが、守るべきは犯罪者や元犯罪者の人権でなく、善良な市民や子供

   の人権だという声の方が大きいのでしょう。

 

     ところがこの記事の顛末にさらにとんでもないおまけがつきました。リストの中に、元犯罪者はすでに

   引っ越していて、関係のまったくない人物が移り住んでいた家が間違って入っていたのです。突然白い

   目でみられるようになったその方の怒りは想像に余りあります。訂正記事が出ましたが、アメリカらしい

   ずさんなオチで、またまたびっくりでした。

 

 

 

 

 

 シェアーすること 2003.3.2                         アメリカ話 2


       

    インターナショナルクラブの役員会         幼稚園で日本文化紹介                お母さんたちが分担してサンクスギビングの

    会計をやってました、苦手なのに         桃太郎の紙芝居を英語で       ディナーを用意。七面鳥担当はタイヘン。

 

   Share(シェアー)する(=分かち合う)という言葉がアメリカ人はどうやら大好きだ。  

 

   シェアーの大切さは、アメリカの幼稚園や小学校でも繰り返し教えられている。たとえば、それはひとつの

  おもちゃを二人でいっしょに使うとか、交代で使うとかいうわかりやすいものもあれば、もっている知識や

  情報を独り占めしないで他の人に教えてあげることもそうだ。考えた意見を発表することは、だまって

  自分ひとりにとどめておかない、という点で、シェアーになる。

 

   ある日娘の幼稚園に絵本を読むボランティアに行ったとき、先生は娘あてに "Thank you for sharing

   your mom today."というカードをくださった。「おぉーこんな言い方アリか?」とびっくりした。

 

    「ママを使わせてくれてありがとう!」 (笑)。

 

    いつしか私の中で、子供にはたくさんのことをシェアーできる人間になってほしい、また自分もそうあり

  たいと思うようになった。人の持っているものはそれぞれ違う。体力がある、頭がいい、情報をもっている、

  友人が多い、親切である、人をなごますユーモアがある、・・・。なんでもいい、持ち得た特質をなんとか

  磨き増やし、そして出し惜しみしないこと。分かち合えるものがあるということはそれだけで幸せだ。

 

     

#c-as1

  

 

 

  小学校入学〜最初の先生   2003.3.2                      アメリカ話 1


        

   小学校のK(キンダークラス=1年生の下の学年)         地元警察へ校外学習。本物の拘置所に入った6歳の誕生日    

  

     1996年3月から2001年3月まで丸5年ニューヨークの郊外、コネチカット州グリニッチに住んだ。

   大学時代1年間交換留学でミズーリ州に住んだことがあるので、住むのは二度目。おかげで左ハンドル

   右レーンの車の運転に慣れたら、すぐ楽しくなった。(お気楽な性格♪)

 

     勉強と友達関係がすべてだった学生時代と違い、今度は家族といっしょ。まずは5才の息子のため、

   幼稚園探しから生活はスタートした。3月という学校年度が終わりかけの中途半端な時期だったため、

   あちこちの幼稚園を、まるで体験ツアーのように数週間ずつ渡り歩く羽目になった。

 

     幸い息子はとても順応性があり、また5才の男の子というのは言葉をたいしてつかわなくとも十分

   遊べるという年齢だったため、幼稚園初日から「まるで前からいるみたいに、なじんでます」というコメント

   を先生からいただいた。半年後の9月、正式に地元の公立小学校に入学するまで、結局6つもの幼稚園

   を体験した。本人が「のほほん君」だったからできた荒業。いい勉強になったのは私。

 

     まずは恵まれた環境。広々とした緑の芝の園庭が目にも体にもやさしい。行事はこどもが喜び、

   かつ準備に時間をとられないもの。たとえばイースターは、庭にじかにピーナッツやキャンディーなどを

   ばらまいて拾わせちゃってエッグハントおしまい。

 

     日本的な凝った発表会などみられず、全体に自由遊びが多かったようだ。そして多くの先生が経験

   と貫禄がある中高年女性で、生徒の言うことなんかには絶対動じないようなおばちゃんが主流だった。

   幼稚園の先生といえば、日本では若くて元気でニコニコピチピチ系だが、そういうかわいいタイプの

   お姉ちゃん先生に、ついぞ一度もお会いすることがなかった。

 

     わが子の誕生日には、クラス全員分のカップケーキをもっていってみんなで食べるという習慣にも

   びっくり。カップケーキにはあま〜いアイシングとスプリンクルが振りかけられていないと不評だ。日本的

   デコレーションケーキはよろしくない。カップケーキはミックスを使ってオーブンでど〜んと一気に一クラス

   分焼く。もちろんスーパーで買ってきてもOK。他にも、絵本を読みにいったり、アシスタントティーチャーに

   なったり、親の積極的関与が喜ばれていたように思う。なにもかも、へぇー!ほほーぅ!の連続。

 

     そして無事半年のめまぐるしい助走期間を終え、小学校のキンダー(日本の年長児)に入学。

   入学式もなにもない、いきなり3時までの授業である。そこで最初の担任が最高の先生だった。

   彼女ミス・マードックは親と子の名前と顔を瞬時に覚え、会えばいつも暖かいコメントをくれた。そして

   5・6才児を相手に、声を張り上げることなくいつもスムーズな授業をしていた。その学校は地域では

   むしろ低学力の子が多いという芳しくない評判で、少し心配して入れたのだが、やはり学校は担任次第。

   一年目は大満足だった。

 

     算数がとても得意だった息子を先生はすぐに見抜き、talented and giftedという特別枠にも入れて

    くれた。英語はネイティブ並みにはほど遠い息子は、ESL(英語が母国語でない子供をつまみ出して

    行う特別クラス)にも入っていながら、そのつまみだし優秀児クラスで算数のついでにリーディングも

    習っていると聞いて、わたしは驚いた。

 

    「え、え〜?英語はまだまだできないでしょう?」と聞く私に、彼女は「あら、いいのよ。できてるのよ」

    と。おぉー、アメリカは太っ腹(=おおざっぱともいう)だと感心した。

 

 

 

 

 

 

 

    おかげで二年目までに彼はかなり読み書きもできるようになっていた。アメリカの子供の読み書きの

   スタートは日本のこどもより概しておそいようだ。彼がすぐにみんなに追いつけたのは、スタートの時期が

   ぴったりだったからという理由もあろう。

 

    こうして最初に出会った先生が暖かく優秀だったおかげで、彼は本当にいいスタートを切れた。

   その後4年間それぞれ別の個性のある先生方に出会ったが、ミス・マードックがベストだったなぁと

   なつかしく思う。

 

    今、英語教室をしている私は、うちにきてくれる大多数の生徒にとって、きっと最初の英語の先生という

   ことになる。たかだか週に一回会うだけの先生だけど、最初の先生ってやっぱり大切だものね。

 

    がんばりま〜す!

 


ページの先頭に戻る

 

 

 

 

 

☆登録してね☆

【けこりん英語教室】

こどもの英語力を

楽しく伸ばす!

登録フォーム
まぐまぐ

 【メルマガサンプルページ】

   こちらをクリック!

 

 


 

 

 


 

 

Google

Copyright (C) 2003-2005 Fujibayashi English School. All Rights Reserved.

←リンク用バナーです。

リンクされた際はメールにてご一報頂けるとうれしいです。